概要

私がネット上の記事や投稿などに日々思っている、考えについて書いていきます。

記事の鮮度のようなもの

新聞の記事もそうですし、ネット上の個人が書いているような記事、さらにはSNS上への書き込みなどにも、鮮度というものがあります。

基本的には、投稿した直後が一番鮮度は高く、投稿した内容も読まれやすいです。その後は、鮮度が下がっていき、記事へのアクセスが減ったり、場合によっては、記事がなくなったりします。

鮮度が低下するのは仕方がないことではあるのですが、私が日々思っていることとして、なるべくならば記事を消さないでほしいということがあります。

記事を残してほしい

記事を残してほしい一番の理由は、鮮度が低下してアクセス数が減ったとしても、全くアクセスがなくなるわけではないということです。

特に私の場合は、昔の記事が見たいということがたまにあります。そのようなときに、検索した結果に表示されているのでアクセスしてみると、記事が削除されていますというメッセージが、表示されるときがたまにあります。これはとても残念です。

そのような残念な気持ちをしないですむようになるべくならば、記事を残してほしいと思っています。

見る方法がないわけでもないが

一応、既に削除されたような記事を見る方法がないわけではありません。

その方法としては、Internet Archivesを使うという方法です。あらかじめ、アクセスしたいページのURLが分かっているのであれば、こちらのサービスを利用してあらかじめ保存されているページを見ることができます。

Internet Archive: Digital Library of Free & Borrowable Books, Movies, Music & Wayback Machine

しかし、100%の確率で見ることができるわけではないので、最後の手段となります。

情報の散逸をなくしたい

誰かが必要としているかもしれないということも重要ですが、他の観点からも記事や投稿の削除を考えています。

現在、ブログやSNS、Youtubeなど様々なメディアで、様々な情報が公開されています。それらは、人によってはなくても良いものかもしれませんが、別の人にとっては有益な情報であることもあります。

そのような情報について削除されてしまうのは、情報の散逸であり、なるべくなくしたいことであると私は思っています。

本であれば、国立国会図書館に、納本制度で情報が保存されていますが、他のメディアであればそうではないので、なんとかならないものかと、私は日々思っています。

私を振り返ると

私自身を振り返ってみると、このブログについてですが、昔と比較して一部の記事を削除したり、記事中の一部の文章を削除したりということはやっています。

これらは、間違った情報が含まれているなど、やむにやまれぬ事情という場合もありますが、情報が古くなったので消したというのも少ないですがあります。

今回の記事を書くのに合わせて、昔の記事を振り返ってみたのですが、既に情報が古くなっているものや、微妙に誤解させるような言い回しが含まれているようなものもありました。とても恥ずかしいですが、現在はこのような記事を消す予定はありません。

もしかすると、私はあまり重要でない、いらないと思っている記事でも、他の人にとっては必要としているかもしれません。そのような人に合わせて、今後はなるべく記事を消さないつもりです。

さいごに

みなさんも、なるべくであれば昔の記事や投稿だからといって、消すのは控えてもらいたいと思っています。もちろん、記事や投稿を消すのは、著作者の自由ですので、消したいというのであれば消しても構いません。しかし、もしかすると必要としている人がいるかもしれないという考えも持っていただきたいです。

この記事は、このようなさいごで締めさせていただきます。